ゲーム:実力と自信の体験

 

mincraft J 20percent

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2015年1月の誕生日プレゼントとして、ブー(現在6才)はマインクラフト(以下マイクラという)が欲しかった。マイクラは3次元の世界で建物を 作ったり冒険したりするゲーム。例えるなら自分がレゴマンになって、無限のブロック(と無限の建物)の世界を走り回れる感じ。かなり 想像力を使うゲームなので、私も興味津々だった。誕生日で二台のタブレットにインストールしてからは二人ともあまりの楽しさにハマってしまい、毎日のよう に何時間もやった。

最初は敵から身を守れる安全な建物を作ってみた。そしてそれをドンドン大きくお城みたいにするのを一緒に協力しなが らやっていたが、次第にゲームでの楽しみ方が異なっていった。私は、冒険や敵と戦うなど新しい事に挑戦がしたくなった。しかしブーは城の外には敵がいて怖いので城の中でひたすら大量の武器を作り続けた(←こんなに要らない!ってぐらい大量に・・・)。小さい頃からの「用心深い」性格はゲームの世界でも「用 心深い」のだ。

2か月ぐらいは毎日楽しんでいたが私はマイクラに飽きたのでやらなくなり、ブーも時々やる感じになった。

そして先日ブーが久しぶりに「一緒にマイクラしよう!」と誘ってきたので素手のボクシング勝負をやる事にした。

私:「あれ?もう死んじゃった。また始めよ!」久しぶりなので操縦が難しくすぐ負けてしまう。リスポーン(=蘇る)。
私:「あれ?また死んだ。おいおいおい!ちゃんと「スタート」と言ってから戦い始めてよ!」。リスポーン。
私:「あれ?また死んだ」←(ほら!こんなの簡単だからしっかりしろよ。敵を殴り倒すだけだよ)。リスポーン。
私:「ちゃんと準備してから!はい、用意スタート!・・・・・あれ?また死んじゃった・・・」

学びのポイント:
3回続けてやられるのは、ただ単に運が悪いだけかもしれない。
7回続けてやられると、一度自分のやり方を見直す必要がある。
15回以上連続でやられると、実力は天と地の差である。

ナゼ??どういうこと…

ブー:「今度は探検しよう!」
私:「いいよ。でも太陽が沈みそうだから安全な場所を作った方がいいんじゃない?」
ブー:「大丈夫だよ、武器作ろう!」

またまたびっくりさせられた。私はまだ武器を作る木材を集めている段階なのにブーは皮の鎧と石の剣を渡してくれた。どうやってあんなに素早く武器を作れた?(あぁぁ、そういえば前はひたすら武器を作っていたからなぁ・・・)

そしてブーは走りだしたので私は追いかける事しか出来なかった。

草原を走っているとクリーパーという爆発する危ない敵が現れ私はビビッて逃げ出したがブーは、爆発する前に簡単に倒してしまった。次はゾンビーが現れ私は必死に戦っている間にブーは二匹を倒し私の奴もやっつけてくれた。

こ の時私は真実に気が付いた。これは運だけの問題でもなく、マイクラを久しぶりにやるからでもない。明らかにブーが私よりも強いという事だ。前は私がうまかったのに…完全に逆転してしまった。あと「用心深い」性格が変わり今では自信満々どんな敵にも怖がらない。

これはゲームだからこそ味わえた経験ではないか?現実の世界では、精神面、肉体面、体力面がまた未熟なので、誰かに手伝ってもらう事は沢山ある(「ダダ、助けて~!」)。だがゲームの世界ではそのハンディが消えて、力と実力を持つ感覚を体験できる。これは大事な体験に違いない。将来の発達にかなり価値はあるだろう。

(歩くや話せるようになったのとは違い、自分が上達する過程も意識できている。ゲームの後、「ブー、うまくなっているね」と伝えると満面の笑みを浮かべて、自分の上達を感じたのは人生で始めてだったかもしれない)

ゲームで味わったあの感覚を現実の世界にも期待して、ゲームだけの自信ではなく本人にも自信が身に付く。だから子どもたちはゲームが大好きだと思う。 夢中になっている=中毒になっているではなくて、夢中になっている=何かの価値を見つけている。そうでないならゲームをやらない!

(「中毒」について この後の投稿で詳しくみてみようね)

私達大人は、子どもがゲームを夢中になると現実の事を学ぶチャンスを見逃してしまうと心配しがちだが、ゲームでは可能性や経験範囲が広がり発達を促している役割がある様に見える。私の子どもの頃にはできなかった経験を、現代の子供たちは体験して有利になると思う。こう考え安心してゲームに夢中な子を信頼し喜んで見守れる様になって行こう。

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